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好奇と平凡社

好奇心を基点に

戯れ 遊び 平凡な日常の

大いなる豊かさを享受しあう

谷間の人々による

ひみつの出版社です

 

※ 好奇心旺盛で

平凡さに自信のある

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valley's people 001 May Drew

アーティスト


【profile】

1997年生まれ。

東京を拠点にインクルージョン(共生)を軸にアーティスト活動をする。

米ジョージメイソン大学で人間発達学を専攻する傍ら、米国内のフェミニズムの歴史やアフロキューバ、西アフリカの文化を学ぶ。

帰国後、引越した先での出来事を機にSafer Spaceの重要性を感じる。現在はデジタル画や麻を用いた創作活動を通し、強くしなやかな女性であること、女性の尊厳と平等を表現する。

過去に個展May Drew展を2度開催。

その他、Sankeys PENTHOUSE(表参道)、ENJOY↑HOUSE(恵比寿)でポップアウトを開催。Vin Santo(恵比寿)にてデザインを手掛けたウイスキーボトルを販売中。



★目次

①絵を描きはじめたキッカケ

②引っ込み思案を克服した留学体験

③フェミニズムとの出会い

④Japanese LookismとAmerican Body Positive

⑤夜のコンビニでの体験 〜Don't Baby Me〜

⑥声を上げること

⑦どんな世界を望む?



①絵を描きはじめたキッカケ


きっかけは特別な事は何もなくて、アメリカから帰国し就職活動もひと段落し暇を持て余していたから。最初は、母が新しいiPadを持ってたから「使わせて」って言って、試しに描いてみたら、なんとなくいいものができたんです。2020年5月に絵を描きはじめて、1ヶ月くらいしたら、けっこう絵が溜まってきたんですよ。

自分の中でもちょっとしたチャレンジだったんですけど。暇だし、学生最後だし「個展やってみようかな」って思って、6月から7月かそれぐらいの時期に、個展をやらせてもらえるギャラリーとかにいろいろと自分からアポをとって連絡をしました。

それで高円寺にあるカフェバーで個展をやらせてもらったんです。

当時、私の中では、これで絵はもういいやって感じだったんですよね。

だけど、いろいろとご縁ができて、名刺のデザインをさせてもらったりとか、ちょっとずつ「楽しいかも、続けてみよう」みたいな気持ちが出てきて。そういうふうに私がいろいろやっていたのを見て、影響を受けて、新しいことを始める友人も出てきたりして。純粋にとても嬉しかったです。

なので、2020年5月に絵を描きはじめて、6月に個展をやろうと思って「個展には額縁が必要なんだ」というレベルから始まって、今に至ります。笑


②引っ込み思案を克服した留学体験


アメリカ留学に行くまでは、実は、とても内気な性格でした。私にとって留学はとてもハードルが高いことだったんです。そんなに難しいプログラムではなかったんですけど、語学もできなかったので猛勉強してました。

留学の面接があるんですけど、めちゃくちゃリサーチして準備して、第1志望校にいったんですけど、そういう成功体験を1個1個積み重ねて、今の思い切れる性格になりました。

留学に行って、今まで自分が育った環境と全く異なるところにいたので、アメリカでは孤独も感じていたし、就職活動でセクハラを受けたり、辛いこともありました。

今まで自分がいた安心していられる空間、コンフォートゾーンを一歩出て、いろんな人と関わりを持った時期だったので、理解できないこととかも多かったです。

居心地が悪いなって思った当時の経験があったからこそ、safer spaceに対する関心が生まれたんだと思います。



③フェミニズムとの出会い


アメリカで得たもう一つの大きな体験は、学校でフェミニズムっていう概念と出会ったことです。大学の授業の中に出てくる「家父長制」とか「圧力」とか。そういうキーワードが、最初は、私にとってすんなりすっと入ってくる概念じゃありませんでした。

たまたま、とても朝早い授業だったので、授業終わりに同級生と講義についてカフェで話す時間があったのですが、そこで対話をする中で、概念が深まっていく感じで、毎週、いろんな気づきがありました。とても豊かな時間だったと思います。

今まで自分が生まれ育った環境について、批判的に考える授業があって、家父長制の中で自分が弱い立場に置かれていたこと。それに気づくことは、とても難しくて、そういう気づきを得るためにも、safer spaceは必要だと、さらに感じていきました。


④Japanese LookismとAmerican Body Positive


あと、私がアメリカにきていいなと思ったのが、アメリカ人は他人の見た目に対してポジティブなことしか言わないんです。日本で大学生をしてると友達の間で、太ったとか、自分の見た目について自虐的な会話をすることが多かった。

だけど、アメリカでは、朝、友達とすれ違って「すごい今日ゴージャスだね」とかって普通に言うんです。アメリカでは自分の見た目にポジティブな言葉を使う人が、すごく多かったです。

instagramの投稿も、アメリカでできた友達は、自分の写真しかあげてないんですよ。まるでモデルさんみたいに。日本人は「なんか自分に自信持っちゃって」とネガティブな反応をすると思うんですけど「自分に自信持ってるってめちゃくちゃいいこと」だと思うんですよね。

日本にいる時は空気を読まないといけなかったけど、アメリカでは「その人が幸せなんだったらいいんじゃない?」っていう純粋な気持ちになれました。

自分もその方が生きやすいし、相手にとってもいいし、変な、周りからのプレッシャーを考えないようになりました。

日本に帰ってきて、結構ギャップを感じたのが、テレビで女性の体を馬鹿にすることをお笑いに変えていて、それを見ると純粋に笑えなくなってしまったことです。

今まで、とても話があっていた日本人の友達とも、なんとなくわかり合えないような感覚に陥ることも、帰国してから一時期ありました。


⑤夜のコンビニでの体験 〜Don't Baby Me〜


私は今、日本で一人暮らしをしているのですが、近くのコンビニに夜勤スタッフの店員さんがいるんです。その人が、私がコンビニに行くたびに「Baby」って呼んでくるんです。

コンビニへいく度に、その方が、ちょっと蔑んだような、からかったような言い方で、私に「Baby」と言ってくる。

女性のお客さんに対するセクハラがその店員さんはひどくて、コンビニの女性客に「今日何しに来たの?風俗?」とか直接的な声かけとかもしていて、私にとって、違和感の塊でした。

近くにいた店長さんも、その行為を無視しているし、かといって私は「今なんて言ったの?」って怒るわけでもないし。声をかけられた女の人は、笑ってやり過ごすしかなくて。でも、この構造って、ありとあらゆる日常の場であることだなってすごく思います。

誰かが、嫌だなって思ってることに対して、あえて突っ込まないで笑ってやり過ごすようなこと。

それがすごく小さな些細なことだから、あえていざこざを起こさなくても我慢すればいいことだけど、そこに対して、声を出していかないと、その店員さんはそれが相手にとってすごく嫌なことだっていうのは、実感できない。

その積み重ねでどんどん感覚が麻痺していき、生きづらい世の中って生まれてきたんだろうなって思います。

展示で使ったキャッチフレーズ「Don't Baby me」は、言い返しの言葉なのですが、それを言えなかった私、駄目って気付かなかった店員さん、注意しなかった周囲の人、そのぎこちない人間と人間の違和感のぶつかり合いを「Don't Baby me」という言葉に込めました。


⑥声を上げること

そういう違和感が、けっこう重なった時期に、堅田香緒里さんの著書「生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義」を読んで、個人的に響くことがたくさんあったんです。

「声を上げる」ってネガティブなことに感じる人も多いけど、最終的には、言われた側もセクハラの圧力をかけた側も、両方にとって、いい社会になるための行動だと思うんです。そういうことを理解できる人が増えてくれたら、どんどん世の中が変わるんじゃないかなって思います。

逆に男性の生きづらさとか、女性の私からしたらすごく見えづらいことなんですよね。

その見えないことを、見えないからって無いものとするんじゃなくて、自分には見えていない理由、社会構造を含めて理解して、知ろうとする努力を、お互いに持っていたら、社会はより良くなっていくように思います。



⑦どんな世界を望む?


ディオールのキャッチコピーに「we should all be feminist」というものがあったんですが、本当にそうだなって。この社会に属しているみんながフェミニストになって、我慢せず、素直にみんなが自由に表現できて、安心だと思える世界を実現していくために、これからも絵を描きつづけていきます。




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