SAFER SPACE展 クロストーク
※ こちらの記事は「SAFER SPACEってなに?」の続きになります
safer spaceとは、様々な社会的背景を持つ人が集まる場において、互いをできる限り尊重し、暴力や差別を最小化し得る空間を構築していくための、終わりのないプロセスをいいます。2022/3/12-13にSHIBUYA valleyでは、safer spaceという言葉にインスパイアされたアーティスト2名による作品展示と、来場者の参加型のアート作品を展示しました。
こちらの記事は、2022/3/12に行われたアーティスト・クロストークの記録記事になります。誰もが居心地の良い空間はどうしたら作ることができるのでしょうか?

★目次
1、路上のおばあちゃん
2、アメリカで学んだフェミニズム
3、大学に掲げられたレインボーフラッグ
4、結婚指輪への違和感
5、居酒屋はsafer space?
6、saferな会社組織とは?
7、指摘するのはムズカシイ・・・
8、それでも吹っ切れた理由
9、都市の匿名性はsafer space?
10、背景を想像しあえる空間
11、我慢しない世界
12、生きるためのフェミニズム 〜パンとバラと反資本主義〜
13、解決するではなく「続けていく」ということ
14、インクルーシブデザインの事例
15、最後に
1、路上のおばあちゃん

杉原:ありがとうございました。safer spaceのインプットができたので、みんなでもう少し、考えを深めていきたいと思います。堅田さん、今のご活動のきっかけみたいなところも、そのスライドの中に入っていたんですけど、路上で生活されてるご友人がきっかけになったというお話があったんですが、そもそも何がきっかけで、その方と親しくなられたのかとか、ちょっとその辺の話聞きたいなと思うんですけども、どうでしょう。
堅田:横浜の寿町って皆さんご存知ですか。もともと日雇い労働をする人たちが集まったりその人たちが暮らす部屋が集中してあるようなエリア。二畳ぐらいのとても狭いお部屋だから宿とも呼べないという意味で、ひっくり返して「ドヤ」と 呼ばれているところです。
そこに、たまたま雨が降っている日に、雨が降るとみんな雨をよけて走って帰ったりするじゃないですか。それで私も一緒に走ってたら、なんか雨の中に佇んでいるおばあちゃんがいたんですよ。
雨がたくさん降っていたので、おばあちゃんは大丈夫かな?と思ったんだけど、自分も濡れたくないから駅まで走っていった。すると、雨がやんだんです。通り雨みたいなお天気雨で、すぐ雨が止んじゃった。雨が止んだので、さっきのおばあちゃんが気になって、あんな雨降っている中、全然動かないでいたけど、もしかしてめっちゃ具合悪くなって動けないだけなんじゃないかって気になって、とりあえず戻ってみたんです。
そしたら、そのおばあちゃんが、たまたま路上生活してる人で、それが本当偶然の出会いでした。「大丈夫ですか?」と声をかけたら、「全然大丈夫だけど。どうせすぐ雨やむって分かっているし、こんなちょっと雨降ったぐらいで走ってるあなた達の方が滑稽だ」みたいなこと言われて。笑。おばあちゃんから「自然の声をちゃんと聞け」とか言われて。彼女は実際、全然濡れてなかった。何故かというと木の下に立っていたんですよね。木に覆われていたから全然濡れてなくて。
私の方はびしょびしょで。雨の中走ってたから。彼女は道端で配ってるティッシュみたいなものをいっぱい溜め込んでていて、それを1個私に「これで拭きなさい」みたいな感じでくれた。
それで翌日にティッシュのお礼を持っていったんです。そこでお喋りするようになって、そこから当時高校生だったんですけど、私、毎日学校帰りにそのおばあちゃんのところに喋りに行くみたいな日々が始まったのです。
杉原:その女性に魅力を感じたのですか?
堅田:こんなずる賢い人いるんだと思って笑。ずる賢いんですけど、すごい独自の美学を持っていて、あと詳しいんですよね。自然のこととか。雨のこと。風のこと。あと食べれる草と食べれない草とか、どこに植えたらちゃんと育つかとか。ゲリラガーデニングですね。アーバン・ガーデニングと言うんですかね。自分で育てて、自分の食料を自分で調達するみたいなことをしていて、すごい私には、かっこよく見えましたね。私はいろいろ教えてもらっていたのですが、先生みたいな感じでした。
杉原:知的欲求が満たされる感じですか?
堅田:いや。ただ、なんていうか、楽しいから行っていました。笑
杉原:とても稀有な体験ですね。
堅田:そうですね。彼女との出会いがなければ今はないです。
2、アメリカで学んだフェミニズム

杉原:Mayさんは、アーティストとして活動される中で、safer spaceもテーマの中にあるようなお話を先ほど伺ったのですけど、何故そこまで関心が強いのかを聞いても大丈夫ですか。
May:はい。アメリカの大学でフェミニズムの歴史を学んだことがきっかけで、Safer Spaceを含めフェミニズムに関心を持ちはじめました。
フェミニズムという概念に触れたことで、男性優位な社会に生きる女性だからこそ、やりたい事が実現出来なかったり、本心では望んでいない要求に応えないといけない場面に直面していたのだと気づきました。
例えば、大学の同期同士の飲み会の席で男性を立てることを、無意識にやってしまう。自分の意見があったとしても男性の話には対抗しないとか。
取り留める必要のない日常の小さな事だとしても、無意識な我慢の積み重ねが理不尽な社会構造を容認することになるんじゃないかな。日本で生まれ育って、日本の教育を受けただけでは気づけなかった違和感を認識した衝撃は大きかったです。丁度その時期に私生活でショックなことがあって、フェミニズムやSafer Spaceの概念がまずは知られる事がいかに重要なのか自覚しました。
女性である事が時にネガティヴな意味を持つのが現実ですが、私のアートの世界では、あえて明るい色や落ち着く麻の素材を使って、逆境の中強くしなやかに生きる女性をポジティブに落とし込んで、表現をしています。
杉原:会場にも楽しいアートがたくさん今並んでいますけれども、作品制作みたいなところにもやっぱり、ご自身が持っている哲学みたいなところで深く紐づいてたりするんですか。
May:そうですね。私は感情を絵にして、後から自分の精神状態とかを振り返って、テーマや自分の感情を創作物と紐づける事が多いです。無意識な状態で創作していますが、普段生活している中で感じている女性としての生きづらさとかが表れている事が多いように感じます。
3、大学に掲げられたレインボーフラッグ

杉原:Shuheiさんも、safer spaceを考えたキッカケを教えてもらえますか?
Shuhei:僕の性自認が、シスジェンダーのゲイなんですけど、幼少期の頃から、悩みがずっとありました。自分が大学に入ったぐらいのときにLGBTQという言葉が出てきて、そこから自分はおかしくないんだと思ったりしました。自分の男性として生まれてきている特権性と、マイノリティの側面とで、葛藤した時期があります。それが今のvoice up japanの活動と繋がっているところです。
あとはアメリカに留学をしたのですが、そのときに日本だと、先ほど堅田さんのスライドで「safer spaceは避難所ではない」というお話がありましたが、マイノリティの話だったり、フェミニズムの話をすると、その人たちが守られるスペースというようなことがすごく重要視されることが多いし、日本の法律とか日本のこの状況だとダイバーシティというものはすごくあるけど、それを実際に法律とか、社会制度とかでインクルージョンしてるかと言われるとそうでもないんですよ。
そこに気がついて、アメリカにいたときに、Pride Month(※ 6月は世界各地でPride Monthとされ、LGBTQ+の権利について啓発を促すさまざまなイベントが開催される)があるんですが、6月になると、大学構内の全部の旗がレインボーになるんです。そのときにものすごく衝撃を受けました。それを「別に普通のことだよね」と見せてくれるところにすごく安心をしたんです。
そういう経験を経て、日本でもマイノリティの人たちが安心していられる場所をどんどん広げていきたい、自分たちの属性に関わらず、対話を通して安全な場所を作っていきたいと思うようになり、それが今の活動に繋がっています。
4、結婚指輪への違和感

杉原:僕はさっきも自己紹介したところでお伝えしたんですが、「ふたり指輪」というコンセプトのブランドを運営してまして、そこでは「左手の薬指に指輪をつける。それは実は特権なんだよ」みたいなことを別に言ってはないけど、そういう問題に対して生まれたアイディアの指輪の事業をやっています。
マイノリティの方々が特別に扱われて物議を醸した事例で、記憶に新しいものでいうと、LGBTQ用のトイレとか制服の問題がありました。あれって、それを身にまとう恐れ、そこに入ることによってもうカミングアウトになってしまうという問題提起を巻き起こしました。結婚指輪もそうで、僕が勤めていた結婚指輪屋さんも、暖簾をくぐった瞬間に、もうそれでカミングアウトになる。
「特別って差別と何が違うんだっけ?」みたいなことをですね。僕も個人的に感じる機会は割と多くて、それからsafer spaceというワードにはなかなか僕個人で、思い当たるものはなかったんですけど、僕が個人的に問題視しているものと噛み合うお話がたくさん聞けて、仲間みたいな気持ちに勝手になっていて、すごく嬉しく感じています。
5、居酒屋はsafer space?
杉原:safer spaceが、こういうとき絶対に必要だよねというか、そういうふうに感じる瞬間って、ありますか。ジェンダーロールが、飲み会の場の中などで、システムとしてあるような気がします。
堅田:それで言うと、さっきのMayさんの話は衝撃で、私はあんまりそういう飲み会に参加したことがなくて。空気を読めないだけかも知れないのですが笑。衝撃でした。
May:例えば友達同士の飲み会で、女の子が焼き鳥を串から外すのがマナーだよと同期の男に言われたことがあります。当時は納得して反省したのですが、今思えばその子の中では友達であっても男女間で立場が異なるべきだと感じているんだなって。
堅田:そこはsaferにしていきたいですね。
May:でも、なかなかこういう話って、言いづらいこともあったりするじゃないですか。
堅田:何で言いづらいのかなぁ。
May:無意識のうちに、抑圧されていることに慣れちゃってるからかな。理不尽だけどそれが当たり前だったから。
杉原:自分自身をより安全に守るためには、マジョリティーのルールに迎合する方がいいというのも、なんか矛盾する。上座に先輩に座ってもらってとか、そういうことをやっておけば、とりあえず悪いふうには思われないだろうというのが、また別軸の、saferを欠いていく空間になってしまう。
6、saferな会社組織とは?

杉原:Shuheiさんは、どう思われますか?
Shuhei:一番今感じるのは、会社かな。いま働いているんですけど、すごく男性が多い会社なんですよね。上司の一言一言にも、ん?と感じることがやっぱりあって。男なんだからとか、男性だから強く指導するみたいな文化だったり。そんなにはないんですけど、時折感じる部分があったり。
堅田:それはShuheiさんにとっては指導って感じ?それともハラスメントって感じ?
Shuhei:ハラスメントの域までには来てないと思うんですけど。営業マンという言葉の"マン”とつく部分であったり。
あとは僕の今仕事をしてるところだと、営業にアシスタントがつくんです。その人たちが女性なんですけど、上司の方たちが「この女性アシスタントは・・・・」と言ったりすることがあって、同じ仕事をしているのに、その言い方がまかり通っているというのがちょっとしんどいときがあります。「君は男性だから、これしなくてもいいよ」みたいな業務が、たまに見えることがあって。
先輩も「これは新人だからやる」じゃなくて「これ女性がやってることだよ」みたいな感じのこともたまにある。
そこがsafer spaceとは違うかもしれないんですけど、違和感というか。だから会社に、ジェンダー規範、ジェンダーロールみたいなものがあるのかな。自分にとっては、モヤモヤするというか、ざわざわする感じです。
杉原:「女性アシスタント」と、わざわざ言わなくていいですよね。なんか不思議ですよね。
堅田:ぜんぜんsaferじゃないですね。
May:私が、女性は日本社会であまり優位じゃないことに気づいたのが、就職活動している時期でした。仕事を選ぶときも「女性だから、総合職はやめたほうがいいんじゃない?」と周りの人から言われたりとか。「女性だから」という言葉をよく聞くようになったのが、就職活動してる時期でした。
Shuheiさんの話を聞いていて、日本では社会に出るタイミングで、見えない制限やジェンダーロールをより強く認識するのかなと思いました。
7、指摘するのはムズカシイ・・・

杉原:堅田さんは、ジェンダーロールとかハラスメントみたいなものに直面したときに、その場で戦うことってあったりしましたか?
堅田:私はもともとフェミニズムについて大学で勉強したことは実はなくて、そもそも大学にまともに通ってなかったということもあって、基本、路上でホームレスの人たちと生活してたので、ホームレスの人たちとの暮らしの中でフェミニズム的な感覚を培ったところがあります。
おっちゃんたちに、あきらかにセクハラ的なことを言われたときに、言い返せなかったんですよね。なんでかなって思ったら、やっぱり自分も相手の人を野宿してる人ということで下に見てたから。もし、自分と同じ大学に通う男子学生から言われたら、私は言い返してたと思うんですよ。
でも、そこで自分の特権みたいなものを直視せざるを得なくて、当時は野宿してる人の中には、読み書きができない人がいたり、知的障害だと思うんですけど、生育環境の中で障がい者手帳を取ることがなく、本人の自覚はないんだけど、刑務所に何回か入ったりして今は路上で暮らしてるみたいな人がたくさんいて。
そういう人たちと自分を比べたときに、男女ということで見ると、私の方が抑圧される側なのかもしれないんですけど、自分にはそもそも屋根がある家が一応あって、大学に通っている。
一方、この人たちは人生の大半を家のない場所で過ごして、家族もおらず、まともな仕事もない。そう思ったら、ハラスメントみたいなこと言われても言い返せなかった。
杉原:そうなんですね。
堅田:差別というのは、交差してるというか、いろんな軸がある。ジェンダーだけじゃないし、階級というか、階層みたいなこともある。
基本的には言い返すんですけど、ちょっと言い返してみても「堅田さんはそういうキャラだからね。気をつけなきゃ」みたいな感じで、笑い話として回収されちゃうことが結構あるんです。
8、それでも吹っ切れた理由
May:とても分かります。フェミニストだと自分で明言するのがすごく怖かった理由にも似ています。
フェミニズムという概念は世の中的には、あまりちゃんと理解されていない概念だったりもするし、構えられちゃう場面が多いんです。実際に親しい人に今回のイベントの話をしたら「フェミニズム苦手やねん」って言われたし。
女性とかマイノリティに限らず、そこにいる全ての人がお互いを尊重して、それぞれがより生きやすい社会にしたいという純粋なモチベーションが誤って理解される事も多くありますよね。でもより分かりやすい言葉で声を上げる事がこのコミュニティをより居心地の良いものにするには重要な事だと思うんです。今回のSafer Space展も思い切って副題にフェミニズムの言葉を添えてみました。
堅田先生のお話と通じるところがあるなと思いました。
杉原:Shuheiさんは何かありますか?
Shuhei :僕はセクシュアリティ関連のことに、長年悩んでた経緯があります。言葉の中に「彼女」とか「彼氏」という言葉が出てくるだけで、脳内にエラーが起きるというか、自分がヘテロセクシュアルだと思われちゃうんじゃないかなと。
コミュニケーション上で、男女関係みたいなことを聞かれると、それだけで結構、脳みそが凄く疲れちゃうんですよね。自分の中で、そういうことを話したくないという気持ちと、ちょっと話せたとしても、自分自身を偽らないといけない気持ちになる。「もし次会ったときに同じ話をされたら、何を話そう」とか考えて、自分を偽っていた時期が18、19歳。その時期が、とてもしんどかったのはありますね。
杉原:今はわりと、吹っ切れましたか?
Shuhei:僕はどっちかというと、今こういう活動してるのは「自分が幸せになりたい」というのが動機にある。自分が幸せになりたいという欲求はあまり悪いことじゃないと思っていて、それがどんどんいろんな人に伝播していくように思うんです。
特に今、こうやってSHIBUYA valleyでお話させていただいてることも「自分が幸せになりたい」という気持ちと、それに共鳴してくれた方々が、今集まってくれていて、だから今は吹っ切れてますね。
9、都市の匿名性はsafer space?

杉原:僕がもやっとする話、してもいいですか? 僕、「杉原賢」は日本での通名で、本名は韓国名で「イ・ヒョンギ」というんですね。
こうやって話している時に、本名で名乗ると「日本語上手だね」とか言われたりするんですけど、そこはすごいもやもやする。名前というラベルで値踏みされている感じがするんです。そういう経緯から、匿名の方がsaferなんじゃない?と感じることがあります。ネット上の匿名はよくないという風潮もありますが。
堅田:そうそう。なんでホームレスの人が大都市に集まるかというと「匿名だから」なんですよね。田舎ってホームレスの人がいないですよね。匿名になれることが、都市のすごく重要な機能の一つで、saferでいられるんだと思うんですよね。
杉原:お店で接客してくれる販売員さんって、名札つけてるじゃないですか。本名で。僕もずっと接客業をしてたのですが、接客業はとてもコストとリスクの高い仕事だよなと思っていて。何を聞かれても基本YESしか言えない人たちが本名を名乗っているって、ヤバいと思うんです。
堅田:接客されてる方々って本名なんですね。それは、saferな観点からみると、変えた方がいいシステムのように感じます。
杉原:ほんとにそうです。「匿名の人が悪いことしてるから卑怯だ」とtwitterで言われたりしますが、自分を守るのもそうだし、相手に変な気を遣わせないために匿名性は大切な気がします。匿名を悪く言う風潮が解せない感じがします。
10、背景を想像しあえる空間
杉原:ここからもう少し抽象度を上げて、もうちょっとこうなったらいいんじゃないか?という話をしてみたいです。自分の身の回りでこういう世界が実現できたらいいな、というのはありますか?
Shuhei:僕は「そんなこと悩んでたの?」と言われる世界がいいですね。
safer spaceというお話をしてて、いろんな人が考えて、こういう場所を作っていこうという気持ちをもちろん持った前提で、みんながそういう気持ちを持ってくれてるからこそ、「私達の関係にsaferなことしかないのに、そんなこと悩んでたの?」と言い合えるような空間を、どんなところでも作っていきたいです。
マイノリティのこととか、人のことって基本、見えないことの方が多い。それがないことにされている。例えば外見、目で見たもの、話したこととか、聞いたことというのは、人にはすごく伝わりやすいけど、それが内面だったり人に話さないと全然わからないし、配慮できないから、それをお互いが「もしかしたら、こういう背景があるかな?」というのを、ちょっとずつ想像できるような空間があるとすごくいいかなと思います。その上で、「そんなこと悩んでたの?」と自分自身の悩みを安心して言い合えるような空間が作りたいなと思います。
杉原:「そんなことで悩んでたの?」と、ちょっと言ってみたいね笑。そんなコミュニティがあったらとても素敵です。その世界観が、みんなに普及したらいいなぁ。
11、我慢しない世界

May:私は「我慢しない世界」になってほしい。
とても個人的な話で今日はお話をしなかったのですが、アメリカで日本人の社会人から、セクハラみたいなことをされたことがあります。私は就活生の立場で、相手からしたら都合がよかったのだと思います。今でも若干トラウマに感じている事ですが、それをある人に相談したときに「そういうこともあるよね、いい経験できたじゃん」と言われたんです。「社会に出たらそういう事も増えるしね。」って。結局、日々の違和感を「しょうがない」「そういうもんだ」って蔑ろにされてきた過去があるからこそ、私は我慢ができる人間だと自分でも思います。我慢できるからって、どんどん自分の心の安全に疎くなっていくんです。
でもそれって、ヘルシーな事なのかな?
そう疑問に思いはじめた心の変化が、アーティスト活動の活力となっています。
モヤモヤした感情を絵にして、展示会で絵の裏側にある社会問題の認知を高める。この活動を繰り返し、多くの人と関わる事で、「我慢しなくてもいい社会」が当たり前になって欲しいです。
杉原:Mayさんとしては創作というのが、自分の抱えたモヤモヤみたいなものを払拭するための行いだったりもするんですか?
May:はい、まさにその通りです。さっきもちょっとお話した通り、私は話すのが苦手なタイプなので、絵で相手に伝えるのが伝達手段の一つなんです。明るい色彩でポップに見えるかもしれないけど、実はその作品の裏には、悩みとかモヤモヤとかが隠れている。
絵は、はけ口の一つなのかもしれないです。「聞いて!」という気持ちが、絵として現れています。
杉原:大人になると我慢する術ばかり身についちゃっていきますよね。僕には息子がいるんですけど、息子は本当に我慢せず、あれこれ言うのですが、本当にすごいなぁと、日々思っています。
12、生きるためのフェミニズム 〜パンとバラと反資本主義〜

杉原:堅田さんはいかがですか?軽くまとめると、「我慢をせず、相手の背景を想像することが大事」というところだけ、今まで話してきて、わかったんですが。
堅田:そしたら私の本「生きるためのフェミニズム 〜パンとバラと反資本主義〜」の話を、また少しさせてください。この本で大事にしたのが、safer spaceのアイディアとともに「パンもバラも」大事にすることなんです。
パンは生活の糧、バラは尊厳で、さっきの話の「我慢しない」ことに繋がるんですけど、私はもともと研究も運動も貧困周りでやっていたので、生活保護を受給してる人たちって、生活保護によってパンは与えられるけど、バラを引き渡さなきゃいけないというか。
生活保護を受けてることでいろいろ我慢しなきゃいけなかったり、いろいろな差別の目にさらされたりする。でも、そうじゃなくて、パンもバラも両方要求していい。みんながそういうパンもバラも享受できたり、要求できる世界がいいですね。
例えばアーティストの人とかそうだと思うんですけど「やりたいことができているから、お金なくてもいいよね」みたいなことが結構ありがちじゃないですか。「やりがい搾取」とかです。それってすごくおかしくて、我慢しないで、両方とも「パンもバラもよこせ」と言っていくことは大切ですよね。
杉原:それで言うと、堅田さんが冒頭でお話された路上生活をされている女性は、パンとバラをちゃんと持っているような気がします。
堅田:まさにそうですね。彼女には家もないし仕事もないし家族もないし、路上で生きてきたのだけれど、おっしゃる通りで、自力でパンもバラも勝ち取って、生き抜いているという感じの方でしたね。
杉原:かっこいい。
堅田:ハードボイルド。そう、かっこいいんです。一方で、ハードボイルドであらざるを得なかった彼女の抑圧されてきた歴史がある。彼女は寿町の横にある黄金町でセックスワーカーとして働いてたんです。寿町で日雇い労働をしているおじちゃんたちの相手をする不安定な暮らし。そういうふうにしか、生きられなかった面もあると思うんですよね。
杉原:なるほど。
13、解決するではなく「続けていく」ということ
杉原:safer spaceと向き合うことは「解決策を考える」という話じゃない。
平たく言うと「啓蒙することをし続ける」みたいなことが大事なのかなと思いました。人って正しいことを言われるとびっくりしちゃうじゃないですか。ちょっと目を背けたくなるというか。あまり、そこを直視できないみたいなところは僕自身にもあります。
すごく難しい。発信をして啓蒙するというところで、問題をちょっとはらんでいるような気がするんです。
堅田:とてもわかります。正しいことって基本的にはうざいですよね。だから、それはとても難しいですよね。
杉原:そこのバランスが、個人的には、やはりユーモアみたいなところがすごいなと思ったりします。
14、インクルーシブデザインの事例

杉原:注文を間違える料理店をご存知ですか。認知症の方が注文をとるホールスタッフのお店ですね。注文を間違えられちゃっても、まぁいいか、みたいな世界観で起案されたもの。
あとは、世界ゆるスポーツ協会はご存じですか?沢田さんという方が協会の会長をされているスポーツ協会で、身体障害を持っている方のほうが優位になるようなスポーツ競技をたくさん作っています。例えば「芋虫サッカー」という競技では、着ぐるみを着て腕の力と転がることだけでサッカーをする。それは上半身を使うことに長けているか半身不随の方のほうが健常者より強かったり。
あとは「50歩サッカー」という競技があって、心臓に病を持っている少年のために作られた競技なんですが、休むことを取り入れたサッカー競技なのです。カウンターがあって、一歩ずつ歩く毎に、カウントがマイナスになっていく。50歩の中でカウンターがなくなったら、もう歩いちゃいけないんです。
ただ、5秒止まっていると、カウンターが1歩、回復する。戦略的に休むことを取り入れないと前に進めないサッカーゲームで、心臓に病を持ってる子が一番この競技で強いんですよ。
これもユーモアで、インクルーシブに優劣がない対等な関係を保っている事例だなと思っていたんですけど。
堅田:今、私達が生きてる主流派社会みたいなもののゲームセッティングが、いかに障害のない人をスタンダードとして作っているかを、逆によく表している事例とも言えますよね。障害のある人が弱いとか劣っているとかじゃなく、ただゲームセッティングが健常者に都合よく使われているだけにすぎなくて、そのゲームセッティングさえ変えられれば、また別の勝者がいる。本当にそれをすごいイメージ化していてとても面白いと思います。
杉原:そうですよね。もう1個、面白いなと思ったのが、国立駅にあるスターバックス。手話を使うスターバックスコーヒーなんです。国立駅に直結しているスターバックスで、店員さんが手話しか使わないんですよ。
スターバックスで、店員さんが本当に一言も喋らないんです。お客さんは手話か、指さしでメニューを選ぶのですが、すごく良いなと思ったのが、誰が聾唖の人なのか、お店にいると、わからないんですよ。それと、手話ができるとめちゃくちゃかっこいいという世界観がお店の中にある。ある意味で、英語を喋れる人がかっこよく見えるのと同じような現象です。
しかも、店内では、ちゃんと喋れる人の中でも、吃音の人とか、言葉を喋ることが苦手な人も見えなくなる。あと、店員さんとよく目が合うのです。店員さんは一言も喋らないんですけど、めちゃくちゃ丁寧な接客をされたような気持ちになるんです。すごい体験だったんで、もし近くに行くことがあれば是非。
15、最後に
May:本日お集まりいただいた皆さんのおかげでSafer Space展を開催する事ができました。Safer Space展は私のアーティスト活動のターニングポイントでもあります。フェミニズムを全面に出したイベントの主催は多少のリスクと勇気が伴いましたが、自分にとってとても大事なことだと改めて感じました。今後もメッセージ性を持って創作活動を続けたいし、みんなでSaferな社会を実現していけたらなと思います。
Shuhei:こういう場でお話をするのは、初めての経験だったんですけど、プレッシャーを感じることなく喋ることができました。皆さんの眼差しも温かみのある感じがしました。こういう場所がもっと色んなところで、身近な友達とか会社とか学校とか、そういうところで広がっていくようなことを何かできたらいいなと、思います。Spread Loveしていきましょう。ありがとうございました。
堅田:ありがとうございました。実は私、これからイギリスに行っちゃうんですよ。それで今も、すごい準備で忙しくて、基本的にいろんな依頼をお断りしてたんですけど、Mayさんのメールに、とても胸を打たれまして、今回引き受けることにしました。MayさんとShuheiさんと、家にいるみたいな感じで普通にお話できて、とても楽しい時間でした。ありがとうございました。
杉原:僕も楽しかったです。本当にありがとうございました。
クロストーク終了後、イベント参加者の方達と、safer spaceへの願いを込めた参加型アート作品「safer tree制作ワークショップ」が実施され、風船に込めた様々な願いが渋谷の空へ飛び立っていきました。





